<士魂の美、刀剣の美>



神風連を語るとき、「廃刀令」も欠かせないものもです。

廃刀令と同じような時期に起こってきた、俸禄の廃止(秩禄処分)という事情 も、

特に公債額の低い下級武士にとっては、大きな経済的痛手だったと思います。

でもそこは「経済!経済!給料!貯金!お金!お金が無いと!」と、病的なほど、

トリ憑かれてしまっている社会、現今の日本人のような頭の中では無かったことを

承知する必要があるでしょう。ましてや死諌覚悟の決起に参加した人々はネ。


神風連は文化的問題など、 もっと 精神性の高い姿ですね。



自然を尊、自然と合致するような人間の精神をも尊、我欲の滅却した死者の魂も尊、

と考えるのは、汎神論の先住民族と共通するものがありますが…、

神風連は、日本刀を武士のみならず、「民族的な魂」または「民族的美意識」と

捉えた点が、他の民族には見られない、重く深く背景に加味される独自性なんだなあ

と考えています。

私は刀剣鑑賞歴30年以上です。3尺の秋水、刀身から拵えまで、どこからどこまで

「用の美」の塊だと ズシリと腹に落ちています。

特に南北朝以前の作品を観ると、何時間鑑ても飽きず、作者の精神的境涯の高さに、

ただ頭が下がるのみです。

名刀は名刀匠の人格の高さを表出しているからです。

世界に類例を見ることが出来ない日本の刀に「美」が備ったのは、名倉砥、内曇り砥

などのような、キメの細かい砥石が産出したことです。

さらには逆に、日本には良鉱山がなかったのも原因といえましょう。

質がよろしくないので、 折り返し鍛錬といって、幾度も打ち叩いて不純物を除去する

という作業が必要でした。それが鉄質の「迅強性」を高めると同時に、様々な鍛え肌を

表出するという、「鉄肌の美」をも賞玩する結果となりました。

また、地は柔らかめに、刃先は硬めにと、「焼き入れ」をする必要から、様々な「刃文の

形態」が生まれて、そこにまた、武人も含めた、鍛冶者達の「美」の探求が切磋琢磨

されてきた歴史がありました。


湾刀は平安中期から作られはじめられて以来、戦後のある時期GHQから止められ

ましたが、今も制作されています。素材鉄質などの関係 から 、鉄の美の次第劣りは免れぬ

ものですが……現代刀も含め本鍛錬の日本刀は、よく裁断の威力に優れ、世界の利器、

「工芸美の粋」として、欧米の研究者達も認めるところです。

名刀とは何か?鈍刀とはなにか?とはよく聞かれることがありますが、姿、 鉄色、肌鍛え、

匂い口、映り、刃文、足入りなどに美の要素が高いもの、言い方を変えれば、 厳しさの

なかにも、「崇高美」「深厚美」「温潤味」「自然美」の高いものが名刀、その要素が低い

ものを鈍刀と考えれば理解しやすいかと思います。

日本では、太刀や刀が御神体になっている神社が多いのは、古人のそんな思いがあった

からですね。

今は刀が廉価のものとはなりましたが、往昔は、もっと高価なもので、古い拵えの刀の鯉口や

鞘などを見ても、信じられぬほど大切に扱われて来たことにアゼンたる思いをするものです。

現代人とは根本、扱いが違うわけです。

いいか、わるいか、そんなことは度外視して一度、二刀を腰に、ビシ!と帯刀してみれば、

やや感じれるのかも知れませんね。

刀に賭けても、恥ずかしいことは出来ない、テナ心情もうまれてしまうものです。


武門の歴史、官僚武士政権をすべて良し、などとは言いません。

それはどの時代も同じです。もとより現代も問題だらけです。

いつの時代も改善、改良の心を持って進みたいものです。

ただ、刀を重んじた時代、サムライマインドゆえに、たとえば、天草の代官の鈴木正一など、

実に立派な武士があちこちに、沢山いたのも事実ですネ。

また、凶作時には各地で一揆が起こりましたが、佐倉宗吾などのように、80パーセント以上が

武門の出自でしたね。


我が命を賭けてでも、よし、と思う方向に進む……。

帯刀者ならではの誠心、誇りというものを  感じざるを得ませんが、神風連の人々も、

帯刀をそんな誠心の象徴と見ていたと思います。