幕末漫画道場 -神風連血涙史- 登場人物紹介 |
太田黒伴雄(1834-1876) | 加屋霽堅(1836-1876) | |
神風連首領であり、新開皇大神宮神官。 朱子学、陽明学を学び、25歳の時林桜園の原道館に入門。国学、神道を修め、河上彦斎や加屋霽堅と並び原道館三強と称される。 幼い頃父が病死し大野家の養子となるが、養家に長男が生まれると、その長男に家を譲るべくわざと自身に罪を作り身を引く。黒船来航時は江戸にあり、また元治元年よりとある事件に連座し投獄されていたため幕末期はあまり目立った行動はなかった。 明治維新を向かえ政府が開国に走り、文明の欧化が始まると尊皇攘夷志士らの怒りが爆発。奇兵隊反乱や大楽事件が起こる。政府はこれらをことごとく鎮圧し、さらに同窓の友であった河上彦斎もこれに加わったとし処刑する。彦斎を失った肥後の勤王一派は、もはや太田黒伴雄をおいて他に頼るところがなかった。 心優しく清らかで、神に最も近い存在である。 |
神風連副首領であり、錦山神社神官。 幼い頃父がとある事件に巻き込まれ自刃。お家断絶となり貧しい生活を強いられる。 23歳の時林桜園の原道館に入門。国学を学び河上彦斎、太田黒伴雄と交わり三強として名を馳せる。のち藩に認められて家名再興が許された。 文久二年、熊本藩に京都警護の要請が下ると長岡護美に従い上京。宮部鼎蔵や河上彦斎ら勤王党の人間と共に活動。しかし勤王党弾圧により元治元年より四年もの間獄に繋がれる。 明治に入り、河上彦斎らの逮捕が起こると再び投獄される。先輩であり親友である彦斎が東京に護送されると大いに怒り悲しみ彼のために和歌を詠むのだった。 出獄後は、あまり人と交わらず欧化政策を断行する政府と如何に戦ってゆくか、悶々とした日々を送るのである。 |
石原運四郎(1842-1876) | 富永守国(1842-1876) | |
西岡神社神官であり神風連参謀。 林桜園門下の富永、阿部と最も親しかった。 幼少の頃は人との争いを好む暴れん坊でその性格の荒さから母親を困らせていた。しかし十四歳の時江戸での在任中太田黒伴雄に出会い影響を受け勉学に励むようになり、性格も別人のようになった。義を重んじ、後にとある母子から仇討ちの手助けを依頼され快く引き受けている。 幼くして示現流を修め、一党随一の剣腕を持つ。 不敵で何事にもマイペースだが、なぜか加屋霽堅に付きまとう。 |
正院神社神官。 神風連参謀長であり太田黒伴雄に最も信頼された。石原運四郎、阿部景器とは同年代に林桜園に入門し共に学んだ親友。桜園門下の和歌三人衆の一人でもある。 河上彦斎が投獄されるとそれに連座し、いよいよ東京へ護送される日、別れを悲しみ彼のため歌に詠むのだった。頭脳明晰で、事実上この富永が神風連一党を動かしていた。 しっかり者なのでその分苦労も多い。が、その苦労を解ってくれる者は少ない。 |
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阿部景器(1840-1876) | 高津運記(1842-1876) | |
神風連参謀。 幼くして父を亡くし母親の手で育てられた。 石原、富永とは同窓の親友。 維新後は阿蘇の戸長職に就いたが、廃刀令が出ると同時に辞職。決起前は長州や秋月に渡り、同盟外交係りとして活躍する。 豪快で剛直な性格だが、妻には頭が上がらない。 |
神風連参謀で青井神社神官。 河上彦斎からその人物を愛され、また高津自身も彦斎を慕っていた。林桜園門下三強が開いた塾ではその教育係に任命され従事した。 一党の決起の際は種田少将襲撃隊の隊長となり首尾よく果す。 彦斎への強烈な憧れはその姿からも伺える。 |