大楽源太郎-略年譜





天保五年(1834年) 児玉若狭臣山県信七郎、きせの長男として萩の平安古町に生まれる。
弘化二年(1845年) 主命により同じ児玉家家臣の大楽助兵衛の養子となる。
同年 吉松淳蔵の塾に通う。門人は久坂玄瑞や高杉晋作など。
年月日不明 大田稲香の学文堂に入門。学文堂の門人は赤川晩翠、大洲鉄然、青木周蔵など。学文堂で数年学んだ後、勤皇僧月性の時習館で学ぶ。月性の門人は、赤根武人、世良修蔵、大洲鉄然など
安政二年(1855年) 広瀬淡窓の咸宜園(豊後日田)に入門。翌年広瀬淡窓の死去とともに塾を去る。
安政四年(1857年) 上京し、頼三樹三郎の食客になり西郷吉之助、梅田雲浜らと交流。
安政五年(1858年) 師月性急死。
京都で梅田雲浜の門下に入る。
安政六年(1859年) 井伊直弼による安政の大獄が起こる。吉田松陰、師頼三樹三郎、橋本佐内らが処刑。
師梅田雲浜は獄中で病死。大楽源太郎は藩より幽閉される。
万延元年(1860年) 桜田門外の変により、井伊大老暗殺される。
文久元年(1861年) 帰国して萩に移り住み、松下村塾の「一燈銭申合せ」に参加。
文久二年(1862年) 再び上京。
文久三年(1963年) 足利氏木像梟首事件、将軍暗殺計画に参加。
同年 毛利家による京の大学寮建設に従事するが、八月十八日の政変により建設は中止。
元治元年(1864年) 宮廷絵師冷泉為恭を暗殺。
同年 禁門の変起こる。大楽源太郎は真木和泉、久坂玄瑞率いる浪士組の書記係として参加。
山崎滞陣中、佐久間象山暗殺を計画するが久坂に止められる。
同年 十二月、高杉晋作の功山寺決起に呼応。忠憤隊を組織する。
慶応二年(1866年) 第二次征長戦(四境戦争)には参加せず、大道上り熊に私塾「西山書屋」を開設。
塾生は戦争に参加。
明治二年(1869年) 西山書屋の塾生、神代直人らが大村益次郎を暗殺する。大楽源太郎はその首謀者と見なされ幽閉。
翌三年、解散命令を出された元奇兵隊士達による藩庁取り囲み事件が起こり、又しても大楽に嫌疑がかかる。
明治三年(1870年) 藩庁から出頭命令が出るが無視して九州へ逃亡。豊後〜鶴崎を経て久留米へ。応変隊に匿われる。
明治四年(1871年) 三月十六日、政府の追及から匿い切れなくなった応変隊の同志により斬殺される。






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