記事一覧

本日は

河上彦斎先生の誕生日です。
当時は命日を特別な日としていましたが、誕生日は特に祝い事をしなかったそうですね。
偲奉会では、この偉人の功績に畏敬の念をもって、誕生の日何時ものように、厳かに過ごしています。

応援お願いします(^-^)

本日は

遅くなりましたが河上彦斎先生の命日です。
今日はなんとなく静かに過ごしました。

彦斎人物伝に・・・

追加事項があります。

彦斎は第二次長州征伐のとき、藩の重役を討幕へと説得しようと一人熊本へ帰りますが、このときそれを止めようとした高杉晋作と絶交してしまいます。
高杉は第二次長州征伐の辺りで外国人のお偉方(誰だか忘れてしまいましたスミマセン・・・;)と交渉し開国路線に突っ走ってしまったため、それを知った彦斎は憤り「貴様がその程度の男とは思わなかった」と帰っていったのです。
かつての盟友と絶交してまで己の思想を貫く彦斎先生、“本物”とは彼のことを言うのでしょうな。

応援お願いします(^-^)

河上彦斎と新政府そして神風連事変へ

明治に入り、ご存知のとおり日本の国内における体制は急展開を見せた、欧化に伴う古き法の撤廃。
これまでの当たり前が覆される事は、国体を脅かす大きな脅威として、かつて同志と呼んだ人々へある種危機感を抱かせた。
明治4年5月、勅命を受けて、彦斎は東京小伝馬獄へと移送された。
当時、この獄は国事犯を収容しており、50余名の人間が投獄されていた。

獄中に入って幾日、玉乃世履判事に呼び出された際の対話が残っている。玉乃は彦斎に対し、彼を惜しむ故に政府への恭順を繰り返し勧めた。然し、彦斎はそれを有難い事と述べながらも、こう言い返す。
「自分の尊攘の志は神明に誓い、同志に誓い、死生必ず背くなきを誓ったものである。多くの同志はこの誓約の元に殉じ逝った。
今日に及んで、生命を惜しんで約に背き、志を改めたら自分はどうなるだろう。嗚呼、時勢が一変したのではない、“政府諸君が自己の安楽を願って尊攘の志を捨て時勢が変わったというのである。自分は徹頭徹尾一身利害の為、素志を改め、節を変える事はできない”」

これを後、玉乃より聞いた木戸孝允は“彼は今なお攘夷を唱えて動かない。これを放置しておけば国家に害毒を流し文明の針路を狂わせてしまうだろう。自分が洋行より戻る前に始末しておいてくれ”そう言い残して、欧州へ旅立ったそうである。
この後、河上彦斎は法廷に呼び出され、ただ一度の審問なく非道なる判決を受けたのである。
現在の法の下にある我々には、とても理解しがたい理不尽さを感じるが、捕らえ方は人それぞれだろう。
木戸の言い残した台詞について、一人の為に国を惑わせる脅威というのはひとつの言い分かもしれない。それだけ河上という人物は志士達へ当時影響力を持っていたのである。
“害毒を流し”とある様に、彼を学の道より、尊攘派を養成し兼ねない指導者としての彦斎の力を恐れていた事が伺える。
今をもって困難な教育。これに思想が絡む事が如何に危ういものであるか、先の大戦などからも容易に想像できよう。
宗教や思想といった部類を出来る限り、改正し、弱体化を図ろうとするその方向性は政府の様々な政策からも知れる事である。
河上彦斎の刑死後、旧攘夷派と新政府側の溝は深まった。
そこへ持って廃刀令と断髪令の二令である。
当然、攘夷という以上、魂としてきた刀剣を折られる事は断じて認められぬ事。武士が作り上げた、封建的な国家が完全に崩れて行くのである。果たして、日本を守るとは何であるか、同志を失った悲憤に続く、政府の政策は敬神党と組織を改めた志士達にとって、耐え切れぬ事であったろう。
一党の長である加屋が神職より辞し、煮え切らぬ思いを抱え悶々と日々を過ごしていた事からみても、機会をうかがいつつも志士達が精神的に追い詰められていった事実がうかがい知れる。
戦事になる前に、手を打つことはしなかったのか。
譲歩は一寸たりとも感じられない政府の強行的な政策。
この強硬さがあの戦争まで引きずられ、大勢の命が“玉砕させられた”のであろうか。
日本人が“らしさ”を失ってきたのは、いつからか。
明治維新が少なからず、わが国の経済的発展と民族的文化の損失に関わっている事は否めない。
河上刑死から神風連事変へ繋がるまでの国の変貌に、今の日本社会と同じ危うさを感じてならない。
歴史を学ぶという事を再度見つめなおし、先人から学ぶべき事を次代に生かしたいものである。


にほんブログ村 幕末・明治維新

河上彦斎

アップロードファイル 275-1.jpg

懐かしい絵が出てきたので再UP。
河上彦斎の似顔絵を描いてみました。
2004年の作品です。本物の彦斎はもうちょっとやわらかい顔ですきっと。

ほっこ

河上彦斎和歌

何となく、世界における、日本の現状を思うと・・・
そういった内容の和歌や言葉に惹かれてしまう。
ありがちな事ではあろうが。


陳思

雲なきすめら御鉾の強ければ
くたくも安し異国の船

          玄明

河上彦斎和歌

河上彦斎氏は神風連烈士とよく交わり、最期までその主張を曲げなかった人物である。
志同じくする同志として、その和歌を紹介する。

大野君に
おもひおく事はあらねとますらをは
別るる袖そつゆけかりける   玄明

大野鉄兵衛、加屋榮太と同門であり、林大人門下三強と称されるが、幕末という日本の大きな転換期に生きた彦斎達志士。
彼等はそれぞれに離れた場所で活動を行っていたが、それでも志一つで密な繫がりが持て、こうした和歌の中にも友への情が深く感じられるものである。


しげはる

ページ移動