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気晴らしに一つ

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しげはるです。
絵が苦手なので、これ一つ描くのも1時間程度要しました。
画力がないというも辛いことですが、気晴らしにはなりました。

ペイントファイル 17.png

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放射線トラブル

牛肉から所謂放射能の検出が相次いでいます。
私の家から程近い場所でも牛肉の流通が成されていたそうで、果たして接種すると、何がどうなのか、影響の強さをきちんと教えて欲しいものです。
牛肉が今は取り沙汰されていますが、実際はもっと幅広い食品や物資において、放射線の影響が見られるのではという心配、様々な不安をいかに日本のみならず、世界へ情報発信し、不安溶解を図るか。日本政府や専門家の方々には是非とも、日本の生き残りという重要な問題でもある放射線に対する対策とその説明をしっかり行なって貰う事が大事ですね。
此の度の震災は様々な方面で、過酷な試練を残したと思います。
ともかく、日本らしい忍耐強さで地道にでも解決へ向かうよう努めるばかりです。

それにしても、放射線の影響は日本製品云々ではない、地球規模の問題なはずですが・・・これだけのトラブルを目の当たりにしても原発に縋らずに居られぬとは辛いものです。

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神風連烈士和歌~六烈士自刃辞世歌①

-六烈士自刃辞世歌-

大和なる神の御蔭になからへて
    今日より登る天の浮き橋   加々見重郎

今更に言の葉もなし秋の野の
    露と我が身は消えなむものを 坂本重孝

>加々見重郎
名は永楯。林櫻園門下で、代々名門三淵家に仕え要職を務めていた。京で雅楽を修め、国許ではその道において、名高い人物である。挙兵時には、砲営の戦いにて敵方の大砲を分捕るなどし、応戦するが、歩兵営での激戦後、敗走すると隊士たちと共に大岳山へ逃れ、自刃した。享年40。
>坂本重孝
名は楯喜。斉藤求三郎門下で、西岡神社にて祠掌を勤め神官・石原運四郎を支えた。挙兵時は浦楯記に従い、太田黒惟信を襲撃した。
敗走後は加々見重郎や田代儀太郎ら六士と共に、郡浦神社の同志甲斐武雄を頼り再挙を図らんとしたが、叶わない事を悟り、十月二十九日、大岳山山頂にて同志と共に自刃した。享年21。

ある方より、六烈士自刃についてメールを頂き、資料に掲載された内容を紹介するが、記された烈士らの年齢は実に幅広い事に気づく。大半を占めるのが、まだ三十にも満たない十歳代~二十歳代の若者である。
幹部と呼ばれる人々を見ても、働き盛りな年齢層が占めている。
彼らの命がけの訴えは、当時「賊徒」「不平士族」という蔑視的な枠組みで封じられてきたが、近年における災害や政治経済といった日本人の不安定さをみると、是非とも紐解いてしっかり学ばせて貰うべき事かと思う。
私よりも幾分若い彼らの命によって気づかされる“日本人という民族の危機”について、神風連烈士らの遺産を基に学んでいかねばならない。


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