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日本と世界の異変

パキスタンが建国史上最悪の大洪水に見舞われてから1カ月が経過した。被災者は政府統計で国民の約10分の1に当たる1720万人に拡大。水は29日までに当初被害を受けた北部を中心に引き始めたが、国連によれば、依然として80万人が空からの救援しか方法がない孤立状態にある。援助物資の輸送態勢も不十分で、被災者のいら立ちは日増しに募っている。(時事通信)


世界中で異常気象に自然災害。
温暖化といいますが、モンスーンの影響らしいですが、本当に数年前の気象状況とは違い身体どころか生命にも危険が及ぶ様になって恐ろしい限りです。
日本でもゲリラ豪雨だの竜巻だの、災害が各地でありました。
そもそも、四季がおかしな事になっている気がしますね。
夏が長く、酷暑で赤道レベルの気温。
なにより日本にある湿度が加わって、カラっと暑い中東アメリカとは違う精神面での負担もあるようで。
職場にて外回りの際に、まとわり付くような熱がたまらず、熱中症の様な症状を引き起こし、一日の終わりにぐったり、という状況になっています。
明日からもまだまだ暫くは辛く暑くジメジメした日が続くわけですが、体調管理には十分気をつけて、乗り切りましょう・U・


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神風連烈士

義挙へ参加せず自刃した志士

~後藤政彦氏~

彼は浦楯記の甥にあたる人物で、ほかの志士達同様、曲野社に仕え祠掌を勤めていた。
25日、義挙の後日となるが、祭りを終え熊本へ出た彼はそこで同志の挙兵を知った。すでにこのとき、敬神党の一党は敗走しており、所々で陣没ないし自刃している者が多かった。
それを聞くや、後藤氏は一人何も知らずと言えど、生きながらえる事は、志を共にという盟約に反するとし、神職を後任に任せる旨申し付け書簡を家族に託し、辞世を遺して自刃した。

皇国のために命は惜しからず世に残すべき大丈夫の道
先立ちし友に告げばや剣太刀なくて死にたる人の多さよ


この様に、熊本城下で行われた戦いだけではない、参加しなかった者も、女達も・・・様々な人間が同志の義に殉ずる道を選んだ悲しい時代である。
しかしながら、歴史は残念だが何かの犠牲あって先へ進んでいる。
おろかな人間社会の高慢さをいつになったら反省し、きちんと自然へ主導権を還していけるのか。
命の尊さを犠牲なしに知れる事はなかろうかと、この戦闘解除となった8月という月に思うのである。

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明日から平常通り

いよいよUターンラッシュもピークとなり、お盆も終わり。
明日からは生活も平常に戻ります。

そうは言えど、まだまだ暑い日々が続き、気温も35度代キープらしいですね。
健康、特に熱中症と夏バテに気をつけながら、神風連に日常業務にと邁進したいものです。

ただいま、掲示板では神風連と新政府のそれぞれの立場から日本の歴史を捉える議論が始まっている様です。
神風連の思想はどんなものか?新政府の新たな日本作りとは何が相容れぬものであったか、その真相を探求するという。
大変興味深い論が行なわれておりますので、興味のある方は是非ご参加ください。


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河上彦斎と新政府そして神風連事変へ

明治に入り、ご存知のとおり日本の国内における体制は急展開を見せた、欧化に伴う古き法の撤廃。
これまでの当たり前が覆される事は、国体を脅かす大きな脅威として、かつて同志と呼んだ人々へある種危機感を抱かせた。
明治4年5月、勅命を受けて、彦斎は東京小伝馬獄へと移送された。
当時、この獄は国事犯を収容しており、50余名の人間が投獄されていた。

獄中に入って幾日、玉乃世履判事に呼び出された際の対話が残っている。玉乃は彦斎に対し、彼を惜しむ故に政府への恭順を繰り返し勧めた。然し、彦斎はそれを有難い事と述べながらも、こう言い返す。
「自分の尊攘の志は神明に誓い、同志に誓い、死生必ず背くなきを誓ったものである。多くの同志はこの誓約の元に殉じ逝った。
今日に及んで、生命を惜しんで約に背き、志を改めたら自分はどうなるだろう。嗚呼、時勢が一変したのではない、“政府諸君が自己の安楽を願って尊攘の志を捨て時勢が変わったというのである。自分は徹頭徹尾一身利害の為、素志を改め、節を変える事はできない”」

これを後、玉乃より聞いた木戸孝允は“彼は今なお攘夷を唱えて動かない。これを放置しておけば国家に害毒を流し文明の針路を狂わせてしまうだろう。自分が洋行より戻る前に始末しておいてくれ”そう言い残して、欧州へ旅立ったそうである。
この後、河上彦斎は法廷に呼び出され、ただ一度の審問なく非道なる判決を受けたのである。
現在の法の下にある我々には、とても理解しがたい理不尽さを感じるが、捕らえ方は人それぞれだろう。
木戸の言い残した台詞について、一人の為に国を惑わせる脅威というのはひとつの言い分かもしれない。それだけ河上という人物は志士達へ当時影響力を持っていたのである。
“害毒を流し”とある様に、彼を学の道より、尊攘派を養成し兼ねない指導者としての彦斎の力を恐れていた事が伺える。
今をもって困難な教育。これに思想が絡む事が如何に危ういものであるか、先の大戦などからも容易に想像できよう。
宗教や思想といった部類を出来る限り、改正し、弱体化を図ろうとするその方向性は政府の様々な政策からも知れる事である。
河上彦斎の刑死後、旧攘夷派と新政府側の溝は深まった。
そこへ持って廃刀令と断髪令の二令である。
当然、攘夷という以上、魂としてきた刀剣を折られる事は断じて認められぬ事。武士が作り上げた、封建的な国家が完全に崩れて行くのである。果たして、日本を守るとは何であるか、同志を失った悲憤に続く、政府の政策は敬神党と組織を改めた志士達にとって、耐え切れぬ事であったろう。
一党の長である加屋が神職より辞し、煮え切らぬ思いを抱え悶々と日々を過ごしていた事からみても、機会をうかがいつつも志士達が精神的に追い詰められていった事実がうかがい知れる。
戦事になる前に、手を打つことはしなかったのか。
譲歩は一寸たりとも感じられない政府の強行的な政策。
この強硬さがあの戦争まで引きずられ、大勢の命が“玉砕させられた”のであろうか。
日本人が“らしさ”を失ってきたのは、いつからか。
明治維新が少なからず、わが国の経済的発展と民族的文化の損失に関わっている事は否めない。
河上刑死から神風連事変へ繋がるまでの国の変貌に、今の日本社会と同じ危うさを感じてならない。
歴史を学ぶという事を再度見つめなおし、先人から学ぶべき事を次代に生かしたいものである。


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