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勉強不足の痛感

神風連資料を一通り読み漁り、大体の事を勉強したつもり。
でしたが、どうにもそこから次々につながる人の流れといいますか、系譜の様なものを出されると、これまでの情報では追いつかないところも多々あり。
真に勉強になります。脳も回転させられます。
脳内活性化です。
様々な角度から切り込んで、可能性まで探りこんで、必死に資料と歴史的知識の一致を図り、確かなものへと変えていく。
久方ぶりにした作業です。ここを開設した際には当たり前の様にしてきた勉強という動作。
神風連の御子孫の方々の訪問も幾度かありました。
質問いただく事も、新たな事を教わる事も多々ありますが、一つ初めての、まっさらな疑問(問題)にぶつかると、今まで見慣れた資料も初めて見るかのように目を皿の様にして一字一句逃すまいと見る己が居り、実に有意義な懐かしい時間を過ごしました。
まだまだ、御提示いただいた情報は未解決のままですが、今後も少しずつ、冷静に調べて参りたいと思っております。
今も、資料を漁っては解読・・・その繰り返しです。


しげはる

神風連烈士和歌

神風連烈士らは旧暦9月24日、義挙を成し最期の瞬間まで戦い抜いた訳ですが、彼等とて全く信仰ばかりに寄って日常生活を、肉親達との絆を疎かにした訳ではありません。
吉田松陰の和歌に同じく、遺された者、先立つ不幸を憂う和歌を幾人もが遺しているのです。
神風連を初めて、もっと遡れば歴史を知りだして数十年かなりますが、歳重ねる度に、境遇は違えども、その和歌がより深く理解できる様になったと感じました。近年特に、そう感じた故、選んだ烈士の歌です。


―家いづる時―
おもひ立つ心の中の苦しさは親の心をおしはかりつつ
                   森下照義
垂乳根の二人のおやをふりすてて立ちいづる心神や知るらむ
                   高田秀信

―辞世―
先立て死する身よりも世にのこる親の心やいかにますらん
                   児玉忠次
消行かん身は惜しまねど垂乳根の親の露けき袖をしそ思ふ
                   太田三郎彦

神風連資料館

昨日、神風連資料館から「宇気比」が届いたのですが、
年々訪問者が減ってきているようです。
皆さん、このサイトを見てくださっている皆さん、是非
一度資料館を訪れてみてください。凛とした気持ちになります。
ちなみに管理人さんは親切で気さくな方ですよ(^^)

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加屋霽堅楯列伝記小説

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連絡等頂いた方、有難う御座いました。
と、同時に御心配お掛けした方々にも御迷惑お掛けしまして、お詫び申し上げます。

小説八頁更新しました。

http://www.shinpuren.com/kayaden1.htm

ついつい、日記(現実型)のみの更新になって仕舞いがちで申し訳なく思っております。
ゆっくりと更新しておりますが、うちの亀並みにもう少しスピードUP出来る様に(意外に亀は素早い)頑張りますので、宜しくお願い致します。

しげはる

案外思い浮かばないもの

デパートをフラフラうろついていると、額縁に入った素朴な絵画が目に留まりました。
御木幽石という方の作品(額縁)だったのですが、よく聞くけれど然し改めて「成る程」と思い見つめなおす様な、その様な機会を与えられる不思議な詩でした。
本当に当たり前に聞いた事のある言葉です。
それでも、不思議と新鮮な言葉としてシンと染み込んで来る言葉でした。相当疲れているのでしょうか、分りませんが、今の御時世。
当たり前の事に飢えているのかもしれない、そう思います。

だから、つい目に留まるのでしょう・э・
色々と惹かれる言葉、絵が豊富なのですが、一つ。

「無駄な経験なんて何も無い。今までの全ての出来事が、今のあなたをつくってるんだから。あなたのまんまで百点満点」

最近は成果主義だの個性だの個人個人の能力を問う傾向にありますが、こうしてのんびりと、今の自分を認めて日々生活する中で極自然に接して得た経験だけを受け入れて、それで十分ではないかという問いかけが、正に癒しだと感じました。
言われずとも分かっている、極普通な文句ですが、それでも案外こうして感銘受けるという事は、実はこれまで悟った様な振りをしていただけかもしれぬと、反省してしまいました。
簡単な事で、当たり前の事が「簡単に」思い浮かばない現代の慌しい暮しの中で、こうした小さな発見は非常に貴重な事なのだと感じたこの頃です・э・

身近に感じられる心境が、一致する歌数点

<和歌>
銀も 金も玉も 何せんに まされる宝 子にしかめやも 
                       山上憶良
たわむれに 母を背負いてそのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず                      石川啄木


鬱々としながら、気分を一新せんと日々励むしげはるです。
唐突ながら、ふと古き先人達もやはり人である以上同じ様に労苦塗れ、何らかその心を作品に映したのではなかろうかと、あれやこれや探ってみました。
生まれでた幼子、老いて行く父母と、等しく命であるけれど、それぞれの重たさを感じるこの頃。
生命の儚さと、諦めぬ精神の強さ。
それに抗えぬと分かっても立ち向かう生命の素晴らしさと自然の偉大さ、様々な物事を感じ取る機会なのかと感じる日々。
現実はそう冷静になりきれず、考える事は只管安寧のみである。

明日から奮起し、仕事と家と、勤めねば・э・
まだまだ世の中には、様々事情を抱えながら立ち向かう人々が居る。自分はまだ大丈夫。という客観視できる冷静さを常持って・・・というよりもしがみ付いて頑張らねばなりませんがな。

四月ですな~

いよいよ新しい期(年度や学期)に入りました。
新入社員、新学年、新入生。
色々な新しい人材が動く時期で、周囲も賑わいを見せております。
当方に於いても、新人さんが数名加わり、今日はとある観光地まで研修一環として、徒歩訓練なるものをしているとの事。
朝礼を出ずに只管歩き、帰社は夕方。
車でも国道走行30~40分は軽い所です。観光地なだけに。
なので、徒歩は相当疲れるかもしれません。
その上、学校の様に楽しくワイワイだけではなく・・・
先輩に引率されて、ルートも休憩も従って歩く訳で、自由な歩行はほぼ無いといっても過言ではない。
しかも、気疲れもあろうという事で、若いといえど疲れは倍に感じるのではないでしょうか。実際ここ何年か新人研修から帰った若い子らを見ているのですが、グッタリして、それでも必死に声張り上げて「お疲れ様です」を発声する。
こちらこそお疲れ様でしたと声を掛けながら、そんな若い活気溢れる姿に感化され、仕事もいつもより捗るのでありました。

いやはや、若い力というのは偉大ですな。
先輩達の経験と共に、有難い力であると感じたこの頃でした。