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敬神党義挙より百三十三年

今年も残すところ二ヶ月余りとなりました。
百三十年より開始した当会も早3周目。
烈士等が生きた百三十三年前の時代から我国は戦争の時代、経済発展の時代を経て、再び一つの大きな転換期を迎えている様に思います。
肉親や親族間での殺生沙汰が報道されるなど、天地人の中で特に懸念する所である“人”の和が希薄になりつつあると感じられる昨今。
義挙に敗れて後、自刃する若い志士達の肉親の情深い詩に触れる時、ふと今の日本人にとって取り戻すべき当たり前の精神を思い改めて復古を掲げる当会の志を強く感じさせられるのであります。


若き子を今日先立つる父母の心思えば悲しきろかも
                樹下一雄氏

この歌を知ったとき、ふと吉田松陰先生の歌を思い出しました。
どこかしら、似ている気がします。
「親思うこころにまさる 親ごころ けふの音づれ 何ときくらん」

似ていると言うよりも、当時の人々が何を頼りとして生きていたのかという点が感じられ、戦後の発展時期~現代に至るまで何を失ってきたのか、多少なり解る様に思います。
“天地人”と並べた語句の内、我々日本人が失いつつあるものは“人”ではなかろうかと、こうした和歌を見て「当たり前」ではなく「今時珍しい、立派だ」と感じるのです。
“人の和”とは言いますが、単体の人繫がりではなく、地域社会の近隣の和まで幅広く含まれます。
また、人の“和”のみならず、我々日本独自の“倭”の心もやはり自然備わったものを除き文化や価値観に至る何かが大きく変貌を遂げ果ては失われてしまうのではなかろうかと言う心配も拭いきれぬ様になってきました。
そんな中で、百三十三年という今日、改めて烈士等の和歌やその生涯を知り、多くの命あって自分の命があるという、当たり前の事を再び学びなおそうと思います。
色々二転三転話が飛んでおりますが、偲奉会3回目を経過し、無事に運営できております事に感謝すると共に、今後もまた皆様と烈士等の如く交わり学びたいと思っております。


しげはる

加屋霽堅楯列伝記小説

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小説五頁更新しました。


http://www.shinpuren.com/kayaden1.htm


<次回更新予定日>
2009年11月中旬頃

神風連偲奉会会員投稿作品

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これまでに寄せられた会員様方からの投稿作品を少しずつ紹介していきます。
交流場やメール等、お寄せ頂いた作品は大事に保管し、御紹介用に加工させて頂いております。
また、神風連や幕末など他日本史作品も随時募集しておりますので、宜しくお願い致します。(作品は小説以外にも絵画・詩・和歌など受け付けております)
お手数ですが、頂ける際に題目や作者名(HN)を記載していただけると助かります。

>取り敢えず1点掲載
(下記をクリックして頁を開いてください)

http://www.shinpuren.com/shihoukaisakuhintops.htm


神風連管理人

今年は

今年は連休が7、8、9、10月と4ヶ月連続。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
時間に追われ、経済的に追い込まれ、散々な状況ではありますが、身体を休め、日々の務めに励んでおられますでしょうか?
なかなか、連休はあっても高速代1,000になってくれたお陰か、外出外食の余裕もなく、外に出るにも近隣程度。
渋滞が酷く、これで温室効果ガス25%ですか、達成できるのかどうか。ハイブリットだのエコ車両を斡旋し補助金につられて皆さん車が統一された様な格好になっているのを感じますが、果たして?!
自然の為には公共に人々が眼を向ける用に、敢えて高速料はそのままに・・・というのでは難しいのでしょうかね。
確かに、経済面で一部自動車産業では上昇した部分もあるのでしょうけれど。
さて、どうなります事やら。
エコ車両も日本の車を使う人口の一部しか使用していないのでは?
そうなると、ガソリン車が従来どおり行き来する状態でのこれ以上の無料化などといった対策は効果をどれほど発揮できますやら。
色々眼が離せません・э・

神風連とその人々の関係

いつの時代も、同じだと思う。
神風連は彼等の平生信仰し頑なに古よりの習わしに固執する姿やその姿勢から付けられた蔑称という事は既に何度か記載しているが、こうした烈士等の姿勢を困った事と見ているのは何も他人ばかりではない様だ。彼等の縦横の結束について、こうした事柄を読み進めていくと、意外に人間関係という一般的な問題点もあった事が伺え、一層近しく感じられ面白いものである。

我子が敬神党一党に関わり、ましてや加盟ともなると家族や親戚などの中には、やはり多かれ少なかれ時代遅れの神風連といった話も当然聞き及んでいる訳で、「よもや我子があの神風連の過激な神がかりの信仰集団に居るものか。」と一党への反政府的活動云々よりも寧ろ理解不能な思想の一団に何を好んで入り込んだものかと子の行く末を嘆き悲しむ気持ちを持つ人々も居たそうだ。
また、親のどうこうではなく、加盟した当人自身が内部の極端な宗教的行動に付いて行けぬもしくは嫌気が差して離脱する事も少なくなかったとあり、100%一致団結して義挙に臨めたわけでもない様だ。
人間味というのか、我々の日常社会でもありがちな一つの光景。
全てにおいて完全な体制を維持できる組織と言うのは中々見られぬが、敬神党という確固たる信仰的組織の内部でもこうした小さな隔たりがあり、今後もっと掘り下げて一層“素顔”を調べていこうと思う。
手当たり次第に資料を読み漁って、漸くこの辺りですがな・э・