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嫌な風邪が多く

ちと近況報告。
嫌な風邪が多く、胃腸にHITしてしまいました。
胃痛が酷く、動くだけで鈍痛がします。
暫く安静に、お休みさせて頂いておりますが、復活に時間が多少かかる模様。胃が弱いというのは真面倒もとい辛いもので。
皆さんも、インフルエンザや嘔吐下痢症など様々なウィルスが流行しているとの事で、体調管理には十分気をつけられ、年末年始有意義にお過ごしくだされ。
では;э;

肥後勤皇党の組織

幕末期に入り、様々な諸藩の若者達は所謂思想グループを結成し、それぞれの派閥独自の活動を行なっている。
肥後も他藩に同じく、大きな塊としては勤皇党(神道国学)や学校党(儒学)、実学党(朱子学)といったそれぞれ中心と据え主張を掲げている。(サイト内の肥後藩学党系譜図をご覧ください)

他藩でも似たような構成はあるが、肥後勤皇党も上士格と下士格の二重構造があり、勤皇党首は一見すると住江甚兵衛、魚住源次兵衛など石高の高い上士を中心とし彼らが首領として纏めている様にも伺えるが、実際歴史に残っている人々の行動で目立つ所は寧ろ下士とも言える人々の様に思える。
上流の武士である人々を担ぐ事によって、自身らの主張を広く響かせ他藩との折衝や様々な所で活動し易くその範囲を広げられ、我々が現代社会でも活用している組織のありかたというものが、古くから自然生まれたものである事を実感させられる。
こうした構成によって、一党の様に身分の余り高くない人々が志士として世に出て行く事になるのである。

一党といえど、個々の価値観あり

天保年間に入門した斉藤求三郎、上野堅吾ら一党の長老格にある人々と、安静年間に入門する太田黒伴雄、加屋霽堅らとの繫がりは全体的には縦横きっちりと密接な敬神党の印象だが、やはり人間。
それぞれに林桜園の主義主張や学を受け継ぐにせよ、様々な捉え方もあるのだろう。

例えば、長老格の上野や斉藤などは林桜園に進められ蘭書を読み、遺された資料にも、彼らが書いた蘭学の筆跡はしっかりある。
それに対し、維新後太田黒と共に木村弦雄を訪れた加屋は彼の室内にある蘭書を目にすると憤激し太田黒に宥められた程であった。
そこでいくと、上野らもまた、同じ洋書(蘭書)の類に手をつけている訳だから、同士達に責められても然りなのだが、そういった記述は無い。長幼に限らず、明治の欧化に憤慨する烈士等の反応を見ると、少なからず非難がありそうに思える。
加屋などは、上野や斉藤らが、さらには林桜園本人が完璧に外国を学び知る者ではないにせよ、こうして学として脳内に情報を取り込んでいる事実すら知らないのではとも思える。
それとも、己より若い世代が古来の文化を捨てたと思わせる、洋書を学ぶ姿が単に懼れ不快であったのか、その辺りは謎である。
神風連の一党を1括りにして捉える事のできない、何とも興味深い個々の人間模様とそれぞれの価値観である。