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神風連への誤解

神風連の精神は容易に理解し難いのだと、親世代の人々よりその印象を伺い知る事ができる。
やはり「神風」の様なと評される通り、宇気比といった信仰に基づく動作や必敗を知りながらも攻め寄せる、自決ともとれる行為。
正に神がかりの決起であり、日常的に生きる我々では想像もつかぬ
精神世界である。
それ故か、軍国主義者の“精神主義”と混同され、彼らの行為そのものが、その根源であるかの様に評価され誤解を受けている。

烈士等を調べ知っていく中で、実に日常的な彼らの姿や遺された詩歌、記憶された言葉。あの時代に生きていた人々の情報から、単なる精神主義的な狂とも取れる決起の印象から少しずつでも、多くの人に知って貰い、正しく伝え遺していければと思うのである。


<追記連絡>
講演会同時期に、神風連資料館でも特別展示が成されておる様です。

132

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本日は神風連決起132年です。
来月11月5日に熊本で神風連資料館創立何周年(忘れました;)
の講演等があるとのハガキが届きました。
平日なのでちょっと難しいですが、しげはるさんと相談
して、出来るだけ参加したいと思います。

最近神風連から離れ気味だったので、改めて一から勉強し直す
所存…のほっこでした。

御誕生日です

皇后さまは20日、74歳の誕生日を迎えた。
健康については、天皇陛下が骨粗しょう症予防のために散策やテニスなどの運動をしており、「こうしたことをご一緒にすることで、私の健康も維持されることと思います」とし、療養が続く皇太子妃雅子さまに対しては「皇太子にとり、また、私ども家族にとり、大切な人」といたわった。【毎日新聞抜粋】

ともかく、おめでとう御座いますと先に申し上げるべきでしょうか。天皇陛下と御一緒に運動など、まだまだ平均寿命で鑑みれば先は長く御健勝に今後の生活をと願うばかりであります。
しかし、昨今皇太子妃に対する反発的なコメントが多いなと感じます。適応障害だから軽いだろうと軽視したり、余りに不敬な表現があったり、正直これ程・・・と恥かしさと情けなさと覚えたものです。
折角のお祝いの日に暗い話題で締めくくりましたが、この辺で。

熊本敬神党義挙を考える日~10月24日前

肥後の神風連とか申すものは全く宗徒の如きものにて、
実に心事は笑うべくとも憐れむべきとも申しがたき次第にて
眞に神風なり


事変直後、ドイツ駐留の青木周蔵に宛てて木戸孝允が書き送った一文。日本を強国にと望んだ開国的思考に転じた木戸らしい開明的な捉え方である。
現代、欧米文化を取り入れ発展してきた我国として彼ら一党の心情を理解するのは難しい。つい、強烈な保守思想のみを拾い取って思想の位置づけをしてしまう。様々な資料を通し、多様な見解を以って少しだけこれまでと違う角度から一党を見る事は出来たが、結果として完全理解に至るものではなかった。
彼らとて、家庭もあり現代我々が行なう日常が当たり前だが繰り広げられていた筈である。それすら、投げ打って戦に身を投じたのは何故か。単なる不満でも単なる信仰心でもなく、もっと許せぬ事があったのだろうと、思うのである。

許せぬ事・・・といえば、思うのはあの二令だが。

明治政府の開国路線に欧化政策。
それを進めるのはかつて同志として『尊攘』を掲げた人々が中心となって作り上げた勝者の政府である。
異国を打ち払え・・・という事は現実には途方も無く困難な状況であったにせよ、急激に欧化を進めた方向転換政策は彼らにとっては裏切りとも言える。その急変する国家を目の当たりにしつつも、耐え忍んで来た彼らが限界を感じたのは『廃刀令』や『断髪令』の二令が施行された後である。
日本が長年守って来た『刀』と『髪』という文化。
これを絶つ事は民族精神そのものが揺らぐという事であり、一党は遂に義挙を論じ始めたのである。
廃刀に反応するのは彼らのみならず、武士ならば「魂」と位置づけ大事にしてきたものだが、彼らの刀に対する思いは更に歴史を遡る大事な信仰であった。
加屋霽堅の廃刀奏儀書にも窺えるが、
「本年三月太政官第三十八号を以って大禮服軍人警察官吏等
慣習など規則にある服着用を除く以外、帯刀禁止の令を布きたまえるに付いては、赫赫たる神武固有の国体に於いて、恐れ多くも
批判できませぬが、憂国の至情一途に畏愼沈黙位忍び無く既に四月二十一日を以って略左の条件を詳細述べて本官(常時錦山神社神官)兼補共、速やかに被解度熊本県令へ具情抗い流せし処、上伸の趣成法に逆うには地方廳(テイ)にて難及僉(せん)議旨を以って竟(さかい)に六月七日に至り本書下戻されたり。」
とある様に、刀という神器を捨てるという事は、これまで培われてきた我国の歴史と思想の全てを否定する事とも考えられ、彼らにとっては日本国固有の文化そのものが崩壊する危機感を覚えたのだろう。こうした上奏も退けられると覚悟してのものであったろうが、義挙にせよ、最早一党の願う所適わずとも命を以って知らしめるという必死の思いが感じられる。

後々、確かに日本でも歴史書として神風連の書籍は残り、資料館やそこから行なわれる行事等、知る人々に接する事は適ったが、結局日本の進む道は完全にかけ離れてしまった。
然しながら、刀は手に無くとも心中に持して我国固有の思想と共に、文化継承や日常の生活を過ごす人々もある。
そういった僅かな『日本』を支えつ、これ以上に崩壊させぬ様、先々日々の生活の中で、小さな範囲でも伝えていく事が大事な事であろうと考えるのである。

神風連という人々については、まだまだ未開拓な部分も多々あるが、今後も努めて前向きに神風連の学に取り組んで参りたいと思うのである。

河上彦斎

アップロードファイル 275-1.jpg

懐かしい絵が出てきたので再UP。
河上彦斎の似顔絵を描いてみました。
2004年の作品です。本物の彦斎はもうちょっとやわらかい顔ですきっと。

ほっこ