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余り寒くない気も

例年だと・・・ぼちぼち我が家のある住宅街は街中より2℃程
冷え込む地帯で、チラチラっと小さな雪が舞う時期の筈でした。
積雪に至らぬ程度ですが、今年は先週末からこっち気温も最低が10度下回るかどうかのラインで、最高気温に至ってはほんわか18度前後。ジャケットや準コートを羽織っていると少し熱い位の陽気でした。
異常気象というのだろうか。
四季の変化を感じる事が難しくなって、いつか私達の子、孫・・・そして子孫という世代には日本の風情は失われていくのではなかろうかと懸念する所です。
人間中心とした生活環境は文明、科学の発展によって飛躍的に向上し、本当に便利になりました。しかし、その利便性の代価は人心の我欲乱れと我々の「生活環境」の土台であり、生命の環境の土台である自然織り成す地球という大きな存在とまでなっております。

昔の古き良き時代を求めての神風連学問。
古きを頑固、遅れ者と見てきた時代から、漸く近年自然と共生を唱えた環境設備を訴え、古きこそ倣いという時代に僅かながら向かう場面もある様です。(本当に僅かですが)
今からであれば、まだまだ間に合う段階と肝に銘じ、日々小さな環境保全の手伝いを進めたいと思うのです。
差しあたっては・・・車と暖房ですかね?
必要でない時は極力徒歩、寒ければ着込む。
この辺りから地道にひっそり改善したいものです。

振り返れば問題多き年でした

前年度の百三十年偲奉会は世間がクリスマスと騒ぐ時期に開始したんでしたか・・・。
早いもんで、あれから1年以上とうに経過してしまった訳ですが。
最近の日本政治経済、石油関係の高騰による食品から何から物価上昇と相次ぐ未解決犯罪、そして与野党の法案に対する論争。衣食住の安全性と信頼性が一気に揺らいだこの一年。
師走まであとわずか。年明けまであと一月少々となった今日、改めてこうした話題に触れ、この危機的な状況を少しでも脱却する足がかりを見つけたい所であります。

それにしても、今日自衛隊の補給艦船帰還とのニュースを見ましたが、自衛隊の方・・・「またこうした機会があれば是非!」と意気込んでおられるが。
不祥事防衛省のおかえりコール・・・「特措法は必ず改正させます、その折には皆さん是非また喜んで出征しましょう」と言う感じの台詞を帰国した隊員達に訴える姿に思わず呆れ顔。
本当に、「日米地位協定」「基地再編」「おもいやり予算」「海外派兵」あらゆる首傾げ政策に、是非とも「賛成」する方々率先して出て欲しいものですね。
上記を目指す方々には、是非実践して示し頂きたいのですが・・・海外派兵される立場も、基地の周囲に住み騒音の中で生活する事は相当、厳しいと思います。
しかし、現実にそういう環境にある人々も居る訳ですから、出来ぬことではないですかね・э・
あちこち話が散りましたがこれにて。

叩けば色々出てきます

>防衛専門商社「山田洋行」からの飲食接待が指摘されている自民党の久間章生元防衛相が、軍事・政治経済情報提供会社の唯一の取締役だったにもかかわらず、設立以来計9年以上、国会議員の行為規範で義務付けられた衆議院議長への就任の報告をしていなかったことが分かった。久間氏の事務所は「会社は利益をあげておらず、議員も無報酬。届けを忘れて申し訳ない。長官就任時は登記の手続きが遅れた」と話している・・・(毎日)

>額賀福志郎財務相が、内閣官房副長官を務めていた平成12年、仙台防衛施設局発注工事の競争入札で山形県内の建設会社を指名業者として入れるように防衛庁側に対して口利きした疑いがあることが20日、分かった。口利きは、当時防衛庁官房長だった守屋武昌前防衛事務次官(63)を通じて、防衛施設庁側に伝えられたという。当時の仙台防衛施設局長の太田述正氏(58)が、日記を基に事実関係を明らかにした。額賀氏は同日の閣議後会見で、「全くそういうことはない」と・・・(産経)

何れも、守屋武昌前防衛事務次官から始まった一連の騒動です。
次々とこうして国会議員の不祥事が明るみになる国が我々の日本なのかと思うと国民として彼等の言い分を聞いていても納得どころか理解に苦しむ始末。
税金を払うのは日本国に於いて上下はあるにせよ、それぞれ生活費から割いて義務を果たしておる訳ですから(一部未納な人もいますが)その頂点に立って模範たる政治家達が談合や接待など『利』という欲望に駆られ、きちんと釈明も行なわないという事は非常に遺憾で、真に許しがたい行為であります。
こんな人々が巣食う中で、果たして全うに志を持ち清く政道に就いて努める方がいるのか・・・疑問です。
総選挙と軽々「大連立」を唱える方々は仰ってますが、総選挙ではしっかりと厳しい眼で人間を量る様、建前的な演説に乗らぬ為の知識を蔵書や様々な人の意見を見聞し学んでおきたいと思います。
先の日本の為に憂慮すべき点を逃さぬ様な日本人でありたいものです。

神風連烈士⑮

~高麗連~

松井正幹
敬神党一党の中で、ほぼ上級士族で固められた「高麗連」の一人。
安岡熊本県令の襲撃をした吉村義節は彼の異母兄弟である。
彼には妻子があり、子はまだ僅かに9つであった。
挙兵当夜、家を出て行く際、漁へ行って来ると告げると「連れて行って」と子にせがまれ困ったそうである。
当時の心境はいかばかりか。
妻と幼い我子の先を案じる事もあったろうか。
神風連、高麗連烈士等には、それぞれに家があり家族もあり、当夜には、無言の別れを告げ各人出陣したのだろうと想像できるが、何とも重く忘れてならぬ教訓の一つとして記憶し伝えたいものである。
近い所では昭和に起こった大戦の過ちも同じ様な事がいえるが、国の方向性を我々一人一人が国民としてしっかりと注視しておかねば、明治維新以降の独裁的な進路に向かい多くの犠牲を払わねば戻れない最悪の事態になり兼ねない。
先の戦争では、強制的な出征と特攻、そして他国への侵略。
神風連烈士の時代では国による言論(反体制的思想)や生活様式に至る法的拘束。
こうした過去をしっかり学び、深く反省し先への教訓として生かすことが、歴史を学ぶ意義と思う。
この神風連の事変は歴史のほんの一部だが、それでも先人に学ぶ事は多々あるので、単純に読むだけではなくそこから何か次に行かせる事柄を見出したいものである。

祝意

「七五三の日の15日を前に、熊本市本丸の加藤神社は10日、鮮やかな晴れ着で着飾った子ども連れの参拝客でにぎわった。この日は約300組が訪れ、境内のあちこちで千歳あめをもらった子どもと記念写真を撮る人たちの姿が見られた。 加藤神社によると、15日が平日なのでこの週末がピークという。特に11日は大安で500組近い参拝客を予想して・・・・(毎日)」

最近暗く、マイナス思考になっても仕方ない事件事故の話題に関する放映が目立っており遺憾なことでありますが、一つ微笑ましい話題をば。
熊本加藤社での行事、さぞかし大勢の家族連れで賑わったのでしょう。幼い子ども達の生き生き楽しそうに飴を受け取る様が想像でき凄惨な事件を聞きなれて疲れた気持ちがほんわかと暖かく照らされた様な感覚を覚えます。
この、加藤社はご存知神風連の副将・加屋翁がお勤めされた神社でもあり、熊本県社として知名度の高い社であります。
子ども好きの逸話が残る翁もこの15日まで多くの子どもさんが参拝されるとの由、暖かく見守ってくださっている事でしょう。
先の日本を担う大事な子ども達に少しでも良き日本の伝統文化、景色を遺していく事が大人たちの責務であろうと信じ、善悪をしかと見極め日々努めたいと思います。

火急

神風連資料館は毎年赤字が続いています。
今は子孫の方達が何とか寄付を募りあって支えているとの事。
我々も、毎年必ず赴いて地下より聞こえる烈士達の嘆きに耳を傾けています。
皆さんも是非一度は訪れて、じかに彼らを感じてみて下さい。

方向性への危惧

>テロ対策特別措置法
9.11の米国で起きた「同時多発テロ」により、国連憲章に沿った諸外国の活動に対して日本がテロ対策と国連決議に基づいた人道支援などの特別措置法。
この法律期限は後にも追記するが四年。
公布から期限が過ぎ自衛隊艦船の撤退が行なわれているが、最初から胡散臭い法案ではある。
※この法律は、施行の日から4年で効力を失うが、必要がある場合、別に法律で定めるところにより、2年以内の期間を定めて効力を延長することができる。(再延長においても同様。)

・我が国が国際的なテロリズムの防止・根絶のための国際社会の取組に積極的かつ主体的に寄与するため、次の事項を定め、もって我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資することを目的とする。
・以下の地域において対応措置を実施する。
1) 我が国領域
2) 現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域
a公海及びその上空
b外国の領域(当該外国の同意がある場合に限る。)
・物品・役務の提供、医療、非戦闘員捜索・救助、生活復興支援が主たる活動。

他様々な文面が連なっておりますが・・・・
これに対する、要・不要調査の結果は70~80%が不要と回答している。自衛隊の給油活動という軍事支援とも取り易い国際支援活動に、区切りがついた事は改めて「日本らしい支援行動」を考える良いチャンスではないかと思う。
戦場に暮し、今尚犠牲者が出ているアフガニスタンやイラク等の各国人民にとっての「支援」にのみ重点を置いて欲しいものだ。
自衛隊による給油活動が米軍艦イラク転用という疑惑まで生んだものだが、こんな支援よりももっと湾岸戦争時の様な金銭援助物資援助こそ実際被害者であり今も尚怯え生きる現地の人々にとって欲しい援助ではなかろうか。金銭的な援助に対する諸国の冷ややかな反応を根に持っての事か解らないが、ともかく日本のすべき支援はあくまで「人道支援」であってこそと思うのである。

<参照・抜粋>
テロ対策特別措置法(概要)

小説神風連について

神風連小説は短編のつもりで書き始めた作品です。
掲載された資料(伝記)と違う区切りで終わりを迎えたいと考えて居りましたので、足りぬと思われる方もいらっしゃるかなと思います。
久坂玄瑞伝の方も山場を迎えておりますし、それと並行して今後どうすすめ様かとアレコレ検討しておる所であります。
真、長らく小説神風連、お付き合いくださり有難う御座いました。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。


しげはる

最終話

加屋、太田黒と領袖を失い、意気消沈する志士達。
それを辛うじて食い留めたのは、強固な意志を持ち、志を同じくする同志・富永等の声だった。

「皆ここは一時退け!藤崎へ退け!」


駆けつけた石原運四郎、高津運記ら諸参謀も入り混じって藤崎・・・愛敬宅へ撤収した。
胸に被弾し滴る血を拭う事もままならぬ太田黒を抱えるのは、彼の義弟である大野昇雄である。

「義兄上・・・しっかり!」


兄を励ましながら、必死に法華坂を下る。
他の同志達と散りぢりになりながらも、何とか太田黒伴雄は担がれ坂のくだりにある民家に着いた。

大野と同じく、一緒に居た吉岡軍四郎も彼を抱き起こして担ぎ、共に屋内へと逃れた。
また長老上野堅五も傷を負いながら駆けつけた。伴雄は死を悟ると傍に控えていた吉岡、大野へ向けて小さな声で告げた。

「頬を撃たれた時はまだまだと思ったが、胸をやられては生きた心地がしない。どうか速やかにわが首を打ち御軍神と共に新開へ送ってくれ。」

と、苦し気に命じた。

「先生、誰に介錯をさせましょう」

「宗三郎、お前がせよ」

と大野に向かい静かに言い渡すのであった。
それから、ゼイゼイと苦しい息を洩らす太田黒は、俄に垂れた首を押し上げると誰にとも無く訪ねた。

「・・・今どの方角を向いておるか。」

「は・・・西へ向いておられます。」

「そりはいかん。天子様の居られる東を背にしては死ねぬわ。これ、誰ぞ向きを直してくれ。」

そういって、上野や吉岡等が太田黒の身体を支え、方向を変えさせると彼はよしと呟いた。


「先生、この後我等はどうすべきでございましょうや」

ここで最後に支持を仰がねばと吉岡は必死に太田黒に訪ねた。
彼は死が間近に迫っている人間と感じさせぬほどの口調ではっきりとその答えを返した。

「斯くなる上は、皆神慮に従い城を枕に死するべし・・・」

悲愴の決断、命令である。
この挙兵自体、死を覚悟のものだったのだ。
今更に生き残ることを考えるものは一人としていないと、彼は思っている。
だから、武士の最後、神臣として、その最期を全うせよと命じたのである。
もう少し、あと少し問うておくべき事が・・・
吉岡が再び、後事を訪ねると彼は暫く黙している。

やがて、その口元が小さく動くのを見て吉岡は耳を寄せた。
彼は弱弱しく滴る血は胸部から地に伝っている。

「うん・・・」

かすかな答えらしい言葉だけ返ってきたが、彼はもう項垂れて今にも意識を手放す所であった。
(もう義兄にはお答えする力も失われておいでなのだ・・・)
大野はハッと辺りに聞き耳立てた。
外が騒がしくなってきた・・・
敵が近い!

時期に営兵も追い迫り、首領が敵の虜となる事を恐れた。
カチリと鍔元と鞘とが離れる音が響く。
吉村と上野は太田黒の身体を支え、首を落としやすい体勢を取った。
(義兄上・・・)
大野は両の目から血の涙を流さんばかりの苦痛の表情を浮かべていた。
大野家に自分が誕生してから父母より酷い仕打ちを受け続けた義兄・伴雄はそれを恨む事もなく逆に
純粋に何も知らず慕い寄る自身を愛し大事にしてくれた。
優しい面影が過り、彼は義兄に向けた刃を恐れ嘆いた。
しかし・・・敵に渡すならば己がとも同時に思っていたから、刀の柄を持って震える両手に力を込め、
強く握り絞めると、遂に刀を挙げて義兄の首を打ち落とした。
・・・太田黒伴雄、享年四十三歳。

―彼等に滴る赤い血は烈士等の血涙そのものであった―・・・

河上彦斎和歌

何となく、世界における、日本の現状を思うと・・・
そういった内容の和歌や言葉に惹かれてしまう。
ありがちな事ではあろうが。


陳思

雲なきすめら御鉾の強ければ
くたくも安し異国の船

          玄明