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ちと涼しくなりましたか?

8月も終わりですね。
平和を考える月でもあり、高校野球に燃え、世界陸上もあり、様々な人間模様織り成す月だったと思います。
暑さも以前より和らぎ、夜などは秋を思わせる涼やかな心地よい風が吹き、非常に身心穏やかに過ごしております。

神風連の烈士が挙兵した旧暦9月24日。
一応、現行では10月24日が正しいのですが、敢えて今年は24日にも何らかの作品なり紹介させていただこうと考えております。
・・・皆様にも是非ともこの9月、10月はともに参加いただけますようお願いいたします。
先にも書きましたが、作品募集しておりますので宜しくです・э・


しげはる

神風連烈士⑭

遺族の戦い①

神風連烈士、桜井氏
桜井直成、通称亀太郎。
田代正足の門下にあって和歌に通じ、斎藤求三郎の元で皇学を学んでいる。一挙の際には、種田少将襲撃部隊に加わり、敗れて後は先祖の墓所に詣りて自刃した。享年31歳。
妻・美登子
東家より嫁いで来たが、夫・直成が挙に敗れ自刃後、「乱臣賊子には一日とも娘をやっておけぬ」と実家に連れ戻され、再婚を勧められるが、「どう仰っても、私は桜井直成の妻でございます」と、美登子は頑なに拒み、遂には自ら剃髪し貞操を守ったのである。
これを細川公より称賛され、貞女浜路にあやかって浜子と名を賜っている。

戦いはあの一夜の事ではない。
烈士等の遺族にとっては、その後まで代を重ね賊と呼ばれ非難を受け、石原氏の様な生涯を賭して戦い続ける方もある。
そういった、表舞台に載らない人々の生き様も学びつつ神風連の学を修めて行きたいと思う。


しげはる

神風連について

以前にもありましたが、神風連烈士についてご質問や情報がございましたら、「しげはる@shinpuren.com」までご連絡ください。また、参加されている偲奉士の方で、作品など提供いただける場合も同様ですがな(・э・)

どうぞ宜しくお願いしまする。


しげはる

まだまだ熱いですが・・・

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8月も盆明けて終盤だと言うのにこの暑さ。
夏の甲子園もいよいよ決勝まで進み終わりが近いこの頃。
夏休みも残り2週間きっておりますが、若い方々宿題なぞはきっちり終わりましたか?今から大急ぎで取り掛かる人もいるでしょうか?ちなみに私は後者ですが(;э;)

残り僅かな時間、目一杯楽しんでくだされ。
今回は、ちとサボり記事ですが、これにて。


しげはる

色々な行事が終わりますね

東京、沖縄、広島、長崎、終戦と様々に命を見つめる日を向かえ、いよいよ本日は送り盆ですがな。
先ほど、京都送り火をテレビですが見てまいりました。
色々な思いを以って、お盆を迎え送っていく人々。
古くからの日本独特な、死生観をもっての文化継承でありましたが、裏でそれを支える人々の姿は初めて拝見し、一つの伝統行事を取り仕切る大変さも伝わって真、勉強になりました。
伝えて行く事も遺す事も、楽な事じゃ無いですね。
京都の大文字を見ていての感想です。
皆さんも今日はご先祖様や亡くなった大事な方をお見送りされましたか?


しげはる

第十五話

斎藤求三郎、野口智雄など次々と隊士らは斃れ戦況は大きく変化しつつあった。

「伴雄さん!もはや退くは出来ん、一気に犠牲に構わず斬り込むほかありませぬ!」

加屋は怒声を上げた。
額に汗が滲み、手や体は鮮血を受け赤く染まったが気にとめず、同胞の屍を踏み越え彼は進む事を進言した。

「ああ、我等は神兵じゃ!何ら恐れるものもなし!只管進むのみだ!」

太田黒も同じく赤にまみれた衣を振り払い深く頷くや、剣先を城に向け突撃を続ける様号令を出したのである。

本隊は合流し、激戦を二の丸で繰り広げた。
一時かそれ以上になるだろうか、敬神党と鎮西鎮台軍の攻防は未だ止まずであった。静かな筈の夜に、轟音と怒声が交差する熊本城内。激しい銃声と鍔迫り合い、金属音―・・・
血と肉が飛び散り地を染める様は戦の激しさを物語っていた。


「前進せよ!ここより切崩せ!」

加屋は声を上げ、地の滴る両刀を下げて敵陣を睨みながら、指揮を執る。隊士らは副将たる人物の声を頼っては、それを目指して刃を取り走り寄る。その姿を捉えたものがあった。
鎮台軍の将校である。彼は、戦況を後方より広く見渡さんと目を四方に向け戦の勝機を探っていたのである。

(指揮を執っておるのは・・・貴奴か。あれを叩けば緒戦は烏合の衆、士気は衰えるだろう)

この将校こそ、本城二の丸に駆けつけた与倉聯隊長である。
彼は、近隣商屋より弾薬を掻き集めると、更に小銃部隊を強化させ一層に士気を高める事に務めた。
部下に攻撃を緩めず継続させる中、自身は実に冷静に戦況の見極めに当たったのである。


「あの指揮する男を斃せ。恐らく賊軍の将であろうが」

与倉隊長の命令により、幾人かの砲兵は照準を一所に向けるや、一斉射撃を開始。
多くの隊士らが斃れる中、加屋は怒りを露に更に斬り出そうと刃を身構えたその時。
腹部に何かが突き刺した様な、痛みを感じたのである。
視線を僅かに下げ刃を握ったまま、彼は手を痛む箇所へと添えると、ヌルリと生暖かいものが触れる。見ると銃弾がの腹部を破って貫き、そこから大量に血が滴っていた。
加屋は激高し、視線を戻すとギッときつく敵陣を睨み付けた。

「おのれ・・・!」

加屋は再び両刀握り締めて眼前の営兵を斬り倒し、更に刃を振るわんとしたその時、更なる銃弾が発砲され、腹部急所に二発の被弾。
視界は大きくゆれ、喉の奥がカッと熱く咽返る。加屋は二刀をしっかり手に握り締めたまま、最期を悟るや「・・・弓矢八幡」と叫び、身体を支える事もまま成らぬ様でガクリと膝をつき、前のめりに斃れこむ。

「ああ・・・加屋先生!」

隊士の今村栄太郎が近寄って彼を揺さぶるが、もはや何も応える事は無かったのである。
加屋に縋り、一時刃を下ろした今村を狙っての銃撃は、戦場で無防備とも言えるその身体を容赦なく貫き若い命は奪われ、身体は加屋に折り重なる様にどさりと崩れ落ちた。
敬神党一党は、斎藤求三郎長老に始まり、副将の加屋霽堅を失っても尚、将帥たる太田黒の元、士気を衰えさせることなく、屍を超え、前進するのであった。

盆休み

漸く夏休暇~盆休みになりました。
いや、全く暑い日々です。冷夏など言われていた頃が懐かしい位の酷暑となっており、最高気温38度を記録した都市もあるとか。
8月~9月とまだまだ夏は始まったばかりだと言われ、今後も厳しい過酷な暑さは続く見込みですが、どうぞ皆様熱中症対策は万全に楽しい休暇をお過ごしくだされ・э・

私もちょっくら明日は墓参りなぞ、早朝より。

しげはる

広島原爆から

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ヒロシマ原爆投下より62回目の夏となりました。
明け方はゴロゴロ雷に激しい雨と、例年にない悪天候かと思いきや、やはり式典までにはすっかり雨が上がり次第に天候も回復。
あの日も同じ様に雲ひとつ無い晴天だったとの事。
丁度8月のこの時期は気象条件が整って晴れ間が見られ日差し強い日だそうですが、ちとここまで毎年晴れ晴れ朝から日が照りつけると何か忘れぬよう訴えかけられているのかなと、職場への暑い道のりを歩きつつ思わされるものです。
本日の平和宣言は、残念ながら式典共に帰宅後の新聞で拝読しました。毎年平和式典へ行きたいなと思いつつ出勤するのですが・・・いや、残念です。職場より一同黙祷し、ご冥福をお祈りするばかりであります。


しげはる

リアル敬神党①

烈士等の日常的に使用してきた肥後熊本便。
それらを会の作品などから紹介し、リアルな神風連の姿を知ってみたいと思う。
まずは、お馴染作品より標準語(一部除く)より肥後弁へ。

>漫画「神風連血涙史」

太田黒「お主・・・どうあっても、決起には反対や?」
加屋「言うた筈たい。おれは神慮が下りれば諫死に望む。この局面で、若い連中だけじゃなく俺までがダダばこねとる。あたの心中は察するが・・・おれは絶対諦めん」
太田黒「榮太・・・。うん・・・わかっとる、わかっとるばい。 」

>小説「神風連」

太田黒「・・・ばってん・・・この様に全て決してしもうたが・・・・霽堅、ほんなこてすまんかったな。」
加屋「・・・は?」
太田黒「子供らには別れば告げてきたや?」
加屋「伴雄さん、私はもう一人の兵に過ぎまっせん。妻も子も家も全てば捨ててこの戦に向わんとする者に御座います。貴方方とて同じではありまっせんか・・・。」

実際交わされていた言葉はこの様な感じですかね。
もう少し、時代を遡るのでこってりしておるかも知れませんが。
さて、如何なものでしたでしょうか・・・?


しげはる