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偲奉会も残すところあと僅か

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昨年末より開始しました義挙百三十年「神風連偲奉会」ですが、いよいよ残すところ2ヶ月余。
皆様如何お過ごしでしょうか。
これまで、ゆっくりペースで資料や作品掲載をして参りましたが、全てを紹介する事は中々難しいところがあります。
また、私も紹介しながら調べ学ぶ者でありますから、不足な所もありましょうが他紹介してきた以外に烈士について知りたいことなどありましたらコメントなどくださいね(^^)
出来る限り調べご報告いたします。

それでは、今後とも宜しくお願いいたします。

神風連烈士①

緒方小太郎(弘国)氏和歌

友は皆はかなくなりて散りのこる
花になみだの落つる春かな

君の為世の為なにか惜しからむ
すててかひある命なりせば

一党義挙に参加し、敗戦後は松山獄へ収監される。
その中で同志を記した「獄の憂草」などがあるが、彼の作を調べると後年は、義挙に散った同志や益々進む日本の欧化を憂う歌が多く見られ誠とならぬ憂いの心が感じられる所である。

~敬神党義挙百三十年領袖和歌~

よは寒くなりまさるなり唐衣うつに心のいそがるるかな
限りなき恵みにおのが百年の齢を捨てて君に報いむ
おきて祈り伏してぞ祈る一筋は神ぞ知るらむ我国のため
                       太田黒伴雄
國の為心赤間の関路までおちし昔は忘れ果てしや
國をめで神敬といふ人の神にそむきてなど國をうる
なげきても尚余りあり日本の光り輝くつるぎすてしは
                       加屋霽堅
あだをはらふ御いつを神に祈るにぞ太刀を御前にいはいつるかな
守正の太刀たてまつり祈るなりあだをはらふは神のまにまに
ほととぎす鳴くやさつきのさ蠅なすはへ仰がむと思ひかけけきや 
                       上野堅吾
夷等をはらひてこそは訪ひも見め梅は野山に咲き匂ふとも
                       斎藤求三郎
呉竹の世の妖物をけころさむわがなき魂は天かけりつつ
七度も八度もおなじ大丈夫に生返りつつ世を守りなむ
                       富永守国
千早振神もあはれとおぼすらむ國の為にとつくす心を
かずならぬ身も大君のためなればいづこの涯の露と消ゆとも
                       石原運四郎
この春も何か祈らむ久方のあまつ日嗣のみよの榮えを
あふぎみる君がみかげの光こそ萬代までの鏡なりけれ
                       阿部景器
かくばかり穢れ果てたる世の中になに何永らへて身を盡せとや
                       福岡慶彦
あだ浪のいかに寄すとも巌なす皇御國の動くものかは
                       小林恒太郎

紹介した歌は烈士遺作の一部である。
その中でも特に当夜彼等の志を表すものであろう和歌を領袖のもののみ選んで記載した。
  「おのが百年の齢を捨てて君に報いむ」
  「なげきても尚余りあり日本の光り輝くつるぎすてしは」
  「七度も八度もおなじ大丈夫に生返りつつ世を守りなむ」
  「大君のためなればいづこの涯の露と消ゆとも」
個人として真情を察する所を特に抜粋してみた。
烈士らがその命全てを賭けてでも取り戻したかったものは、何であろうか。現代風に言うならば失われつつある「日本人らしさ」だろうか。本日は敬神党の人々が義挙より百三十年目となる。
遺作を通し、何か一つでも学ぶ所があれば幸いである。


参考:神風連烈士遺文集より
記載:しげはる

第十一話

敬神党が神がかりの一挙は遂に火蓋を切ったわけだが、彼らの装備を
鑑みれば、軍配がどちらにあるものかは凡そ解るだろう。
一党の長老、上野堅五は近代兵器を用いる事を提唱するが、既に神兵と
なった彼らにとって受け入れられるものではなかった。
それ故、最期までそれを悔やんだ上野であったが、火器を用いることは
無く古来よりの刀槍に加え、焼玉と油入りの竹筒のみ携えての戦いへと
進むのであった。
糧食、医薬物資については、敵地調達とし、ただ戦う術のみ整えて
決戦に臨んだのである。


第二陣、太田黒の部隊が進行する頃、第三の富永守国率いる部隊は
気取られぬよう、歩兵営に近づいていた。

「・・・他同士達の為にも一刻も早くこちらを占拠せねばならぬ。」

富永は静かに、自分に言い聞かせる様に言う。
彼は二千余名を超える大軍擁する鎮台軍相手に、できる限り自分達の
無勢を悟られぬよう、急襲し兵力を削っておきたいと考えていた。
だからこそ、今改めて自身を戒め奮い立たせねばならないのであった。

「富永さん、歩兵営の兵士共はまだ動く気配も無ければ、こちらの事も
一切感知しておらんようだ」

「そりゃいい、急ぎ行動を起こそう」

野口ら若い隊士らは、逸る気持ちを抑えられず富永ら幹部が指令を
下すのを待ちわびている。

―確かにこのままじっくり待ってやる必要もない。急襲によって混乱を
起こし叩けるだけ叩いておかねば厄介―

歩兵営に程近い場所まで辿り着いた一行は、ただ指揮を執る者の声を
待つのだった。
富永は、斬り込みを決意するや素早く刃を敵陣へ向け突き出した。

「皆この一戦一夜に全てを注げ。我らは神兵ぞ、何人たりとて恐るるに
足らぬ。さあ一気に叩くぞ」

声を張り上げたと同時に、待ってましたと隊士らは営内へ躍り出た。
歩兵達は、富永らの時の声にビクリとして床から飛び起きると、まだ
半分寝ぼけ眼をあわてて擦りつつ、異常事態である事を知った。
彼らとて全く予知せぬ事ではない。
県令安岡にせよ、鎮西司令である種田少将にせよ、何らか敬神党一派が
事を起こすであろうと踏んでいたが、まさかこういった形になるとは
未だ思っても無かった事。
熊本城本営を攻め寄せるなど無謀極まりない事をしようとまでは想像も
なき事だっただけに、一層の混乱が広がっていったのである。

(^^)今日も歴史が一日分増えました

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神風連義挙より百三十年
昔の歴史を振り返るのも大事な事。
・・・ですが、ここで一つ自分達が彼等と同じく後々の日本人にとって先人となった時代、即ち同じく百三十年後の日本を考えてみましょう。我々現代人は後の現代人と称する人々にどう評価されるでしょうか。
神風連の烈士を見る私達の視点と同じ視点で私達を見る人間が先に誕生する事を知る事で、彼等に何を伝えたいのかをより深く知ることが出来ると思います。

漠然と思想だとか、志だとか・・・言われてもこのご時勢。
夢や伝える何かを持つのも一苦労。
やりたい事が見つけにくい日々の中で、気の長くなる様な遠い未来を想像し後々伝えたい、自分の伝記を作ってみたりしながら、今後の夢探しの足がかりにするのもいいのではと思う今日この頃(^^)

神風連蹶起百三十年記念行事御案内

神風連烈士の戦より今年は丁度百三十年となります。
それに因んで、熊本市にて講演会及び期間内の特別展示を催すとの事、皆様方にもご案内お知らせいたします。

◆講演会
・日時
 平成十八年十月二十四日(火)
 午後一時開場(一時二十分 神事/二時~四時 講演)
 先着二二〇名迄入場できます(参加無料)
・会場
 熊本市国際交流会館7階ホール
 (熊本市花畑町4-8 096-359-2020)
・講師
 神谷俊司先生、安永蕗子先生

◆特別展
・期日
 平成十八年十月十八日~平成十九年一月三十一日迄
・場所
 財)神風連資料館(熊本市黒髪5-7-60)

遅ればせながら(^^)

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京都へ9月出かけてきました。
やはり京都の町は駅周辺諸々近代的に変わって面影なく・・・という悲しさはありましたが、少しそこから離れれば昔を偲ぶ古都の町並みも僅かにチラホラ。

幕末史跡の一つでもあり、古くから栄えた廓街に行ってみたかったのですが、見学ルートから見事外されました(^^;)ガックリ
島原の界隈は是非一度見てみたいものです。
今は、一般非公開?の店もあるようですが(人様の話によれば)、昔はどうだったのでしょうか。薩長志士らは?肥後の烈士らは?割合気軽に立ち寄っていたりしたのでしょうか。羨ましいものです。一度でも幕末志士らの様な豪遊をしてみたいものであります(豪遊の為に上洛していた訳ではありませんが)。

しげはる

神風連烈士

神風連烈士―青木暦太氏―
麻布に記し、出陣当夜携えた書より


憂うことのなほこのうへにつもるとも
倭こころの動くものかは

尊皇攘夷
肥之后之州 青木暦太
         実俊
神軍先鋒士
以義討不義


烈士らの真情(心情)知れる書である。
況してや、彼が最期の戦場へ持ち出したもの。
命がけで訴えようとしたものは、我々にとって今は薄れつつある書にもある倭の心というものでは無いだろうか。